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ジャズの魂を揺さぶった『キー・オブ・ライフ』の和声とグルーヴ
スティーヴィー・ワンダーの『Songs in the Key of Life(キー・オブ・ライフ)』は、ポップやソウルの枠を超え、ジャズの世界にも決定的な影響を与えた金字塔でございます。プロベーシストとして、このアルバムを語るとき、私はそのコード・ヴォイシングの豊かさ、リズムの柔軟性、そして何よりもインプロヴィゼーション(即興演奏)を誘うメロディに注目せざるを得ません。
ジャズ・ミュージシャンたちがなぜこのソウル・アルバムにこれほどまでに魅了され、数多くのカバーを生み出したのでしょうか。その核心を、ベーシスト目線で解き明かしてまいります。
1. 複雑なハーモニーと転調:ジャズ・イディオムとの共通項
ジャズ・ミュージシャンがスティーヴィーの楽曲に惹かれる最大の理由は、そのハーモニーの洗練度にあると考えられます。彼のコード進行は、単なる機能和声(トニック、サブドミナント、ドミナント)に留まらず、ジャズで多用されるテンション・ノート(9th、11th、13th)やノンダイアトニック・コードを大胆に含んでいるのです。
特に「As(永遠の誓い)」や「Another Star(アナザー・スター)」のような楽曲は、転調やモーダル・インターチェンジが効果的に使われており、これはハービー・ハンコックやチック・コリアといったジャズ・ピアニストたちの語彙に極めて近い構造を持っています。アルバムには、ハービー・ハンコック自身が鍵盤で参加しているという事実も、ジャズ界隈の関心の高さを物語っていますね。
ベーシストとして見ると、これらのコード進行は、ウォーキング・ベースやリハーモナイズの余地を多分に残しており、ミュージシャンたちに「これをジャズでどう解釈するか?」というクリエイティブな挑戦を突きつけたのです。
2. リズムの「間(ま)」とシンコペーション:フュージョンへの橋渡し
『キー・オブ・ライフ』のリズムは、単なるファンクではなく、アフロ・キューバンやラテン・ジャズの要素が深く織り込まれています。「Another Star」はその典型です。この曲のベースラインは、ネイサン・ワッツによるタイトなファンク・グルーヴを基調としながらも、随所にティンバレスやコンガといったラテン・パーカッションが絡み合い、極めてポリリズミックな構造を持っています。
また、「I Wish(回想)」のシンセ・ベースラインは、16分音符のタイトなリフでありながら、黒人音楽特有の「揺らぎ」と「粘り」を内包しています。この精緻でありながらソウルフルなリズムは、後のフュージョン・ミュージック**、特に1980年代のスムース・ジャズやクロスオーバーのグルーヴに直結していきます。ベーシストが、タイム感やアタックの強弱でグルーヴに深い表情を与えることの重要性を、改めて教えられたわけです。
3. ジャズ・ミュージシャンによるカバーアルバムの潮流
『キー・オブ・ライフ』の持つジャズ的なポテンシャルは、多くのジャズ・ミュージシャンたちによって発掘され、数多くのトリビュート・アルバムやカバー・バージョンとして世に送り出されました。
A. アコースティック・ジャズによる再構築
- アコースティック・ジャズ・トリオによるカバーは特に多く見られます。「Isn’t She Lovely(可愛いアイシャ)」や「Knocks Me Off My Feet(孤独という名の恋人)」などは、原曲のメロディの美しさを活かしつつ、テンポや拍子を自由に解釈し、即興演奏を主体としたジャズへと変貌を遂げています。ベーシストは、原曲のメロディ・ラインを損なわないよう、控えめながらも豊かなハーモニーを支える「歌う」ウォーキング・ベースを求められることになります。
B. フュージョンとファンク・ジャズへの応用
- フュージョン系のバンドでは、「Sir Duke(愛するデューク)」や「Contusion(負傷)」(インスト曲)が頻繁に取り上げられます。「Sir Duke」のブラス・アンサンブルを、サックスやトランペットのアドリブ・ソロに置き換えたり、「Contusion」のロック的なジャム・セッションの要素を、よりテクニカルなフュージョン・プレイに昇華させたりするのです。ここでのベーシストの役割は、ファンクのドライブ感を保ちつつ、高度なユニゾン・フレーズや変拍子的なアプローチにも対応できる、ネイサン・ワッツ直系のテクニックが要求されます。
4. カバーに見る「脱ポップ化」のプロセス
ジャズ・ミュージシャンがスティーヴィーの楽曲をカバーする際に行うのは、単なるメロディの借用だけではありません。彼らは、原曲の持つ「コード構造」と「メロディの骨格」だけを残し、リズムやアレンジを完全にジャズの文脈へと移植します。
例えば、多くのジャズ・ヴォーカリストがカバーする「Village Ghetto Land(ビレッジ・ゲットー・ランド)」の場合、原曲のバロック的なストリングス・アレンジを、シンプルなピアノ・トリオやアコースティック・ギターの伴奏に置き換えることが多いです。これにより、曲の持つ社会的なメッセージ性とメロディの切実さがより際立ち、ジャズが持つ「メッセージを伝える音楽」という側面が強調されるのです。
ベーシストは、この「脱ポップ化」の過程で、ルート音の選択やリズム・パターンを根本から変え、曲に新たな情緒や即興の自由度を与える役割を担うことになります。
5. 永遠に続くスタンダード:未来の音楽への示唆
『キー・オブ・ライフ』の楽曲が、デューク・エリントンやコール・ポーターの作品と並んで、現代のジャズ・セッションで演奏される「新しいスタンダード」としての地位を確立したことは疑いようがありません。
その理由は、これらの楽曲が、ポップ・ソングとしての魅力(覚えやすいメロディ)とジャズ・ソングとしての深さ(複雑なコード進行とリズムの多様性)を兼ね備えているからに他なりません。これは、現代のミュージシャンに対し、「ジャンルを超えた普遍的な名曲を作るにはどうすればいいか」という、究極の問いを投げかけ続けているように思えます。
私たちベーシストにとって、このアルバムは、ソウル、ファンク、ジャズの境界線がいかに曖昧であり、その全てを吸収し融合させることこそが、真のグルーヴマスターへの道であることを示してくれる、最高の教科書であると言えるでしょう。
(完)



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